身の丈に合わないスピリチュアリズムはときに身の破滅を招く

ヨガ愛好者は、多かれ少なかれスピリチュアルにも関心がある
これは几帳面な人ほどお好み焼きのキャベツを細かく刻みがちなのと同じくらい当然のことだと思います

そもそもヨガは身体(=sense)を使って精神(=spirit)を平穏に整えることを目的としているわけですから、ちゃんとヨガやるからにはスピリチュアルな事に興味が湧かない方がむしろ不自然とも言えます

いわゆる「スピリチュアルな物事」として、巷には新興宗教からナチュラル思考のリトリート、心身が浄化される水、パワーストーンや幸運を呼ぶ壷まで、中には気を抜くとハマってしまいそうなニセモノもバナナの皮のように転がっています

もちろん、本物(ここで言う本物とは、人を騙そうとする意志がなく、個人的な利益の回収が一番の目的でないものを指すことにします)もあるでしょうし、どんなものであれ本当にその人の人生やスピリットに好影響を与えるのであればそれで良いのだとも思います

ただし、スピリチュアルな事は当然ながら精神への影響力が大きく、下手すると「妄信」というとんでもなくマズい状態に陥りかねません
そして悲しい事にヨガ愛好者の中にはすばりその妄信状態に陥っている人がちらほら見当たっちゃうんだからたちが悪い

ヨガを嗜みながらもそうならないためにはどう生きれば良いのか、私ごときが偉そうに私なりの姿勢を勝手に語ることにしました
というわけで断言口調で進めますが暇つぶしに読んでやってもいい、という方は続きをどうぞ

***

大前提として、スピリチュアリズムは生きる上で指針となるべき重要な事柄だと思います
要するにこの人生において霊的成長を目的として生きるという姿勢

ヨガなんてまさにこれそのものですし、多くの宗教もまた教えはそれぞれ違えど結局目的はそこにあるのではないでしょうか

何も考えずにのんべんだらりと生きるより、どう在るべきか、どう在りたいのかを見据えながら選択を重ねていく方が人として成長するに決まってます

で、その大前提は置いといて

何かひとつの事、人、主張や教えに捕われてしまうと何故ヤバいかというと、バランスが崩れるからです

それが宗教でも思想でも人物でも現象でも、何かを妄信するという姿勢は固執に繋がり易く、それ以外の物を排除しようとする精神性に偏りがち

それだけならまだしも、例えばその宗教の活動に傾倒するあまり身近な人間との接点を疎かにしてしまったり、尊敬している人物が主催するナチュラルリトリートだから日本だけど大麻や非合法の薬物を使用してもいいのだと信じて疑わず、それで気づきを得た気になったり
例えば大麻などは国によって禁止されていなかったりもするし、そういったものを全否定する気はありません
中島らも氏も言ってましたが「薬物とは生き方」であって、それを選択する人は一定数必ず存在します
ヨガ発祥の地であるインドでも大麻くらいならわりと日常的に使用されていたりするようですし
でももしあなたが今住んでいる国で向精神薬の類が禁止されているとして、あなたが高杉晋助的なキャラ属性でもないのであれば、反社会的行為なんてあえてやる必要無くないですか?
やりたい事をやるためにはやるべき事をやってこそのびのびできるってもんです

すこし話が逸れましたが何かを崇拝するレベルで妄信すると、ハマると面倒な何かを選択してしまったり、辛い目に遭った時に「これは自分が至らないから当然の報いなんだ」と必要以上に自責の念にかられたり、失敗したときに「これは好転するために与えられた経験であり私は悪くない」と自分にある原因に目を向けなくなったり、それなんか違うんちゃう?というでっかいズレに気が付けなくなってしまいます

それは、あかん

それは怖い

もっと楽にいくべし
「楽」とは好き勝手やっていいという意味ではなく、もっと肩の力を抜いて素でいようやということ

新しいパン屋へオープン当日朝に速攻で買いに行くも良し、子供のためという口実でガチで本気出してゲームクリアするも良し、菅田将暉の魅力に今頃気づいて身悶えするも良し、ツルツル肌になると聞いて卵の薄皮を必死で顔に貼るも良し…

およそスピリチュアリズムからは程遠い、そんな生活の中の一見くっだらないひとつひとつ全てが「地に足をつける」ために実はとても大切なんです

その生活の中で、ひとつひとつを丁寧に味わうこと、感じること、ときに立ち止まること

今の生活のひとつひとつを当たり前のようにこなすことは決して惰性ではないし無駄なことでもない、むしろそれでこそマインドフルネスは研ぎ澄まされるし、まずはそこ押さえにゃ話にならん、というのが私の考えです

菜食主義についての話でも以前触れましたが、身の丈に合わないスピリチュアリズムは霊的に成長するどころかバランスを崩す原因にもなりかねません
そして私は実際にそれでバランスを大きく崩してしまった人を今までに何人か見てきました

山籠りして瞑想やプラクティスに明け暮れる体験も貴重でしょうし、尊敬する人のリトリートに参加してチャクラを活性化することも大きな転機となるかもしれません
でも、地に足をつけたリアルな生活を疎かにしては、本当の意味での霊的成長は成し得ないんじゃないでしょうか

そういう小さな生活や練習を積み重ねる事、そこで感じる事、変化する事、成長する事の、全ての過程を丁寧に感じる事が、多くの人にとって一番必要なヨガの姿勢だと思うのです

というわけで、しっかり地に着いた軸足の強さと力まないバランス感覚が必要なアーサナをひとつ

立位の鳩のポーズ(というかどうかは知りませんがなんかそんな感じのアーサナ)です

スピリチュアルは決して実生活から遠い特別なものではありません

とりあえず、私は今日作った水菜サラダがめっちゃ美味に出来たこと、それによって子供が野菜をちゃんと食べたこと、お代わりするご飯があったことに全力で幸せを感じようと思います★

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